森口ゆたか
—あなたの心に手をさしのべて
吉原美惠子
プロローグ
展覧会の始まりの日のことをよく覚えている。
私事だか、大切な母を亡くして間もない頃のことだ。
実感は伴わないのに「母なき子」になってしまったという心細さと喪失感にどう向き合えばいいのか、途方にくれていた秋だった。
そのとき、森口ゆたかは、彫刻家である父・宏一の入院先からの帰宅途上にあった。私の母を奪った同じ病と闘っている森口宏一のことは、私も聞かされていた。絶望をさえねじ伏せて、美術家としての日常を貫きつつ、敢然と闘病の姿勢を崩さなかったその人のことを。私は「来春の個展開催を考えている」と電話の向こうの森口ゆたかに伝えた。
その日、タクシーを飛ばして再び病室に飛び込んできた次女・ゆたかから来る春の個展開催の可能性が生まれたことを聞かされると、父・宏一は「それは立派なことや」と重い病の床で心から喜んだ。その後の病室では、開催に向けての森口ゆたか展の明るい話題がよく持ち上がったという。しかし、残念なことに森口宏一は、その春の訪れを待たずに旅立った。遺された森口には、その一ヶ月後に、実母・久見子の一周忌が控えてもいた。
生きることや死ぬことについて私たちは幾度も深く語り合い、しっかりと手を携えた。
作品の変貌
展覧会は、近作で構成したいと思っていた。
とりわけ、2006年の映像インスタレーション〈touch〉を観て以来、私には森口ゆたかの作品が気に掛かってしかたがなかった。なぜなら、若い頃の作品とはかけ離れた印象を抱かされ、何が彼女の身に起こったのか、気になっていたからだ。目の前にうごめく複数の手は、何かを探しているような、確かな何かを掴もうとしているような、不安でおぼつかない様子に見える。この頼りなさ、よりどころのなさは何なのだろう。やがてそれは、人は決して一人では生きてゆけないこと、人との繋がりや関わりを求めるものだということが、平明な映像でストレートに示されていることに気づかされる。
手は静かに語り、触れ合い、繋がり、ほどけて、また彷徨う。そこに私たちは、その手に繋がる人やその心の姿を観ることになるのである。
1960年生まれの森口ゆたかは、80年代後半から90年代にかけて、オブジェや映像を組み合わせ、存在を問いかける場を創り出した。
それは、現代社会における個人の不安や孤独を探り出していて、その隙のないインスタレーションは高い評価を得ていた。
しかし、近年は、触れ合う手、絡み合う糸などが、映像として会場を行き交う、ビデオ・インスタレーションを手がけ、ふれあい、繋がり合おうとするいのちの姿を素直に示し続けている。そこで際だつのは、森口が観る者に、慎ましくその手をさしのべていることである。現代社会における不安や孤独を洗い出し、突きつける作品も多く見かけるが、近年の森口は観る者をそこで決して独りで、置き去りにはしない。観る者それぞれが蓄積した時間や経験、記憶に優しく歩み寄り、語りかけ、その内面に目を向けさせたかと思うと、感情の表出を助けもする。
作品の前であふれる思いに涙を流す人、記憶をたぐり寄せるように自らの思いを滔々と語って聞かせる人、口にはしないけれど沸き上がる思いを意識する人が実に多いという。森口自身は、「地味で、重いテーマだ」と語るけれど、これほど、すべての人に通じる主題は見あたらないだろう。生きること、関係を持つこと、繋がること、そして、死ぬこと。これらが解りやすく、しかも深く、表されている。森口自身が新しく家庭を持ち、そこで実際に悩み、考えたことが作品を確かなものにしているのだろう。
LINK —暗闇の豊穣と親しさ
2007年に発表した〈LINK〉を、今回、森口はほぼ完璧な姿に実現したと言ってもよいだろう。30m近くある細長く暗い通路には、真っ白い紐が絡み合ったり、結ばれたりする映像が投影される。映像の光を頼りに、人はゆっくりと歩んでゆくのだが、森口は、この通路を産道に見立てていた。
外界の明るさや喧噪に慣れた感覚を、その中で生まれ変わらせることも意図していた。
暗闇のなかで示された白い紐は、私たちを待ち受ける、まっさらな人間関係を暗示しており、その光に導かれて、私たちは進んでいく。静かな音楽といのちの響き(胎児の心臓の鼓動)がその歩みに力を与えてくれるようだ。
この空間を通過するとき、私たちは、未だ見ぬ世界への恐怖や覚悟の念を抱く。そして、暗闇の中の唯一の道標である、白い紐に導かれ、そこに暗示された関わりが持つ意味をあらためて思い起こす。
「結ぶ、紡ぐ、係わる、組む、絡む、継ぐ、繋がる、絆、縁」など「糸」を包み込んだ文字が持つ行為の人間味を慕いながら、暗闇が、実は私たちのいのちを育む、親しく近しいものであり、豊かなものであることにも思い至る。
いのちは、とにかく後戻りができず、前に進むしかない宿命を負っており、その行く手にあるのは、未知の闇である。つまり私たちは日々、闇の中を突き進みながら生きている。この闇は、数え切れないほどの可能性に満ちている。その未来の闇に待ち受ける他とのさまざまな関わりに向かって、いのちはその歩みを進める。そのようないのちを励まし、導きながら、その心に寄り添うように、森口の作品は在る。
〈LINK〉2007年
HUG —抱きしめられるために、そして抱きしめるために
2010年6月に発表された初出の〈HUG〉では、天上のベッドを思わせる、白いラグを敷いた大掛かりな装置に映像が投影されていたが、今回の展示では、作品はより簡素で力強く、美しいものとなった。大きな壁面にあえて焦点を定めない、抽象画のような映像が大きく一面、映し出されている。目の前にうごめくものをしばし見つめていると、たとえば、待ち受ける手の中に、迷いなく飛び込んでゆく幼子の姿をみとめることができる。「抱きしめること」は、人の手がなすことができる所作の中で、素朴で、最も素晴らしいものの一つであることに違いはないだろう。そして、それは優しいだけではなく、力に満ちたものであることが映像から伝わってくる。
この作品には、森口自身が育児に悩んだ日々への思いが込められてもいる。それゆえ、人との関わりに悩み、苦しんでいる人たちの心に歩み寄り、ふわりと手を触れる。
〈HUG〉2010年
光の刻 —すべてのいのちは光の中に
2009年に発表された〈光の刻〉は、暗い部屋の中にしつらえた一枚の静止画と明滅する電灯の光で成り立っている。簡素な作品だが、森口の近年を代表する作品になるはずだ。
この作品を観たとき、「すべてのいのちは光の中に生まれる」という確かなメッセージを受け取った気がした。いのちが紡がれるありさまをこれほど視覚的に明確に伝える作品はないだろう。
豊かな闇の中に育まれたいのちは、明るい光の中に、抱きしめようと待ち受ける人の手の中に、生まれてくる。
ここでは、光そのものが生まれ、いのちのリレーを照らしだし、祝福し、静かに沈黙する。そして、再び、かすかな明かりを灯し始める。灯っては消えてゆくという繰り返しの中に、いのちの始まりと終わりを見る人もいるだろう。闇があってこその光であるように、死なくして、新しいいのちは生まれないことを寡黙に伝えてもいる。静かで思慮深く、そして、力強く、翳りも迷いもない美しい作品である。
あしたの景 —未知への希望
展覧会のために新作を、と考えていたものの、新作の完璧な仕上がりには時間を要した。森口は最初、すべての作品に通じる「生」を見せるための「死」をテーマにした作品を闇の中に構想していた。しかし、最終案はまったく違ったものになった。
準備中の3月11日に東北地方を中心に起こった、未曾有の自然災害もまた作品に影響を与えただろう。当初、構想されていた死のための闇は、真っ白な光に満ちた空間へと変貌を遂げた。そしてつや消しを施したガラスを通して外の空気や景色をも柔らかに取り込み、光の中に微かな虹を出現させた。
〈あしたの景〉と名付けられた新作には、それぞれのいのちの向かうべきところにあるはずの、明日への希望がほの見える。
虹の向こうには、死者の国があると信じる文化があれば、未来の明るい希望が持っていると考える人たちもいる。いずれにしても、虹の向こうには、私たちが未だ見ぬ世界があり、すべてが私たちの立っている今と繋がり、私たちのいのちと係わっている。会期の最初に若々しい緑が映えていた戸外の空間は、会期途中にはサツキツツジの愛らしいピンクに覆われもした。
自然のうつろいを取り込み、陽光や小さな生き物の姿を取り込み、私たちの未来をおおらかな大気の中に表してみせた作家の思いが、美しい展示の流れを締めくくる。
エピローグ
本展には、他にも近作の大阪市立大学医学部附属病院でのアート・プロジェクトが美術館ロビーでインスタレーション作品として紹介された。森口は、1998年から2年間滞在したイギリスで目にしたホスピタルアートに強い衝撃を受け、身体や心を病んでいる人や、その家族を癒すアートの大きな力に気づかされ、自らも活動に取り組み始めていた。
今回のプロジェクトは、国内でも珍しく、アートが本格的に医療現場に参入し、その役割を果たしつつ、社会における可能性を拓いたものであった。ここでも注目されている、医療現場で働く人たちの手が、日々の危険にさらされながらも、他者のいのちと真摯に向き合う姿が示されている。
それらは病と闘う人やその家族の傍らに寄り添う、それぞれの尊い心の姿でもある。現場の理解と協力なくしては、実現できない仕事であり、医療従事者のいのちへの深い思いに敬意を表したい。
かつての不確かな存在を見つめた森口の目は現在、揺るがない人間存在にまっすぐに注がれている。そして、いのちへの敬意や存在への慈しみに満ちあふれた近年の作品群は、個人の存在が、ともすれば尊ばれない現代にあって、寛容で温かなメッセージを発し、その手は同時代に生きる私たちに、精一杯さしのべられている。
〈徳島県立近代美術館専門学芸員〉
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大阪市立大学医学部附属病院プロジェクト |
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〈LINK〉 |
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〈HUG〉 |
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〈touch〉 |
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〈光の刻〉 |
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〈あしたの景〉 |